
『タイガの森フォーラム』 を応援して下さる方、なんだろう ?と思って立ち寄って下さった方、
こんにちは、
何かを残そうとしている人、何かを伝えようとしている人と会った時、どう感じますか ?
人を通じてビキン川やタイガの森と出会う 『FACES, VOICES, SPIRITS.』、
今回と次回は、ビキン川のウデヘ人 として執筆を続けているアレクサンドル・カンチュガさん (クラスニヤール村在住) のインタビューをお送りします。
1934年にビキン川のウデヘの両親の間に生まれたカンチュガさんは、教師・学校長として長年地元で勤めた後、自分達ウデヘの生活から失われてゆくウデヘ語の言葉や物語を残し伝える執筆に励んでいて、2001年には少年時代の暮らしを綴った 『ビキン川のほとりで』 が日本で出版されています。
今回 Part 1 は、黒澤 明監督の映画 (『デルス・ウザーラ』, 1975年公開) でも描かれているタイガの猟師デルスの事や、ウデヘの人々の話した言葉 - ウデヘ語についてうかがっています。
次回 Part 2 は、ウデヘとは何だろう ?という問い、そしてこの春カンチュガさんと北海道大学の津曲敏郎先生によるウデヘ語訳の完成したサン=テグジュペリのあの作品のお話。どうぞお楽しみに、(野口)
————————————————————————————————-

― 黒澤 明監督の撮った映画 『デルス・ウザーラ』 (1975年) はご覧になりましたか ?
ああ観たよ。とても良かった。私の注文は一つだけだった。
- どういった御注文です ?
デルスを演じたあの俳優 - いい俳優だが、風貌がなあ、現実のデルスとは・・・
- はあ、
現実のデルスは、より精悍だった。上背もあの映画の俳優よりあって、逞しい男だった。
映画で俳優 (マキシム・ムンズク ※) の演じるデルスは太鼓腹だったけれど、タイガであんな風に腹の出た猟師に会った事があるかい ?
- そういえばここ (ビキン) で会う大抵の猟師は痩せ型・筋肉質の身体をしています、
そうだ。
- 一日二食で、日が暮れるまで山やタイガを歩いて猟をする訳だし・・・猟師の腹は凹んでますね、
- ずばり、デルス・ウザーラという人は何人だったんでしょう ?ナナイ人 ?それともウデヘ人 ?
まず、アルセーニエフはデルスを 〝ゴリド族の猟師〟 と書いている。
- はい、
だが 〝ゴリド〟 と呼ばれたのは、当時のナナイ人の一部だった。
- そうですね。今ではもう自分を〝ゴリド〟と考える人も〝ゴリド〟と呼ばれている人もいないと思いますが、当時 〝ゴリド〟 と呼ばれたのはナナイの人達でしたね。だから、デルスもナナイ人の猟師だった可能性が高いでしょうか ?
それが、ナナイの人々に会ってデルスの事を訊くと、彼はナナイじゃないと言う人が多いんだ。
- へえ、
そしてデルスはアルセーニエフと共にビキンへやって来るんだが、その時デルスはビキンのウデヘとウデヘ語で話したんだ。
- ウデヘ語を話したんですか ?
ああ。デルスはビキンのウデヘと普通にウデヘ語で話したんだ。この村 (クラスニヤール村) にはその時の様子を覚えている年配の人が居たよ。
- わあ、
それからロシア人の役人が聞き取って記した記録で、彼の名が 〝デリチー・オウジャラー〟 と綴られている物がある。これも昔のウデヘの名に似ている。
- というと ?
〝デリチー〟 は 〝飛んでいく/飛んでくる〟という意味のウデヘ語 〝ディエリクチー〟に似ている。
〝オウジャラー〟 は 〝こちらへ〟 という意味のウデヘ語 〝オウザラー〟 に似ている。
そしてまさにこういう名や姓を昔のウデヘは持っていたんだ。
- すると、デルスという人にウデヘとの何らかの繋がりがあったかもしれない、と言えますね、
ああ。不明な事は多いけれど、デルスが優れた猟師だった事、そしてここ (ビキン川流域) へ来てビキンウデヘとウデヘ語で話したのは本当だよ。
- カンチュガさん、ウデヘ語の挨拶をもう一度教えて下さい、
〝バグジフィ !〟だよ。
広いタイガで 〝やあ、また会ったね !良かった〟 という嬉しい気持ちで言えばいい。
- はい、
〝調子はどうだ?〟 と尋ねるのは 〝オノ バグディウ ?〟
元気なら、〝アヤ !〟と返事すればいい、
- 覚えます、
そして〝ビキン〟 という川の名も 〝シホテ-アリニ〟 という山脈の名もウデヘ語からきているんだ。
私達の先祖は 17世紀頃まで山脈の海側 (シホテ-アリニ山脈の日本海側) で暮らしていた。それから山脈を越えてこちら側やってきて、魚や獣の豊富なこのビキン流域を見つけて移り住んだんだ。
それで 〝シホテ-アリニ〟 は 〝山々を越える〟 という意味のウデヘ語で、
〝ビキン〟 は喜び を表わすウデヘ語で、
私達の先祖が名付けたんだよ。
- じゃあこの山脈や川の名は大事にしなきゃ、
カンチュガさん、以前頂いた日本の人達へのメッセージ、もう一度お願いしていいですか、
いいとも、
ディマナウ ウディェ ディガ ティギー (来たれ、ウデヘの里へ)
ブウ アラシムウ スウナワ (われらは待つ、汝らを)
イヴナ ガグダ ディガ、 (日本の友よ、)
ボ アグダムウ スギャンタシウ ムンティゲ (われら喜びぬ、汝らわれらのもとへ来たりしを)
ボ ビキウウ ウリグディガ ! (われらがビキンは麗し !)
- できるだけウデヘらしく言えるようになって、伝えます、
それは有難い。アササ (ウデヘ語の 〝ありがとう〟)
- 〝ごきげんよう〟 は 〝アヤ ビテイザ〟?
そうだ。
相手がひとりなら 〝アヤ・ビテイザ〟 と言い、
相手が何人かいる時は 〝アヤ・ビトウザ〟 と言うんだよ。
(Part 2 へつづきます)
————————————————————————————————-
『ビキン川のほとりで』 沿海州ウデヘの少年時代 (クリックで画像拡大)
アレクサンドル・カンチュガ 著, 津曲 敏郎 訳 / 北海道大学図書刊行会 / 定価 1,800円 (税別)
『森の人 デルス・ウザラー』 (クリックで画像拡大)
アルセーニエフ = 作, パヴリーシン = 絵, 岡田和也 = 訳 / 群像社 / 定価 2,000円 (税別)
『デルス・ウザラ』 (クリックで画像拡大)
V.K. アルセニエフ 著, 安岡 治子 訳/ 小学館 / 定価 1,600円 (税別)
『デルスウ・ウザーラ - 沿海州探検行』 (クリックで画像拡大)
アルセーニエフ著, 長谷川 四郎 訳 / 平凡社 / 1965年
映画 (DVD) 『デルス・ウザーラ』 モスフィルム・アルティメット・エディション (クリックで画像拡大)
出演 : マキシム・ムンズク, ユーリー・サローミン
監督 : 黒澤 明
————————————————————————————————-
● 津曲 敏郎 「デルス・ウザーラはどんなことばを話したか?」 宮岡 伯人編 『今、世界のことばが危ない:グローバル化と少数者の言語』 クバプロ 2006年
● 津曲 敏郎 「デルス・ウザーラの言語に見るアイデンティティ」 煎本 孝・山田 孝子編 『北の民の人類学:強国に生きる民族性と帰属性』 京大学術出版会 2007年
(前者が一般の方向け、後者はやや専門的な内容だそうです)
————————————————————————————————-
何かを残そうとしている人、何かを伝えようとしている人と出会った時、僕の場合は、
その何かを強く感じ取りたいと思い、
それから、自分にもその人程に強く残したいもの、誰かに伝えたいものがあるか? と考えて、
もっと生きれば、自分にもわかる時が来るかもしれないと思います。
カンチュガさんと話していると、言葉を大切にしている人が大切にしているものは、言葉の向こう側にあるのかもしれないと感じました。
こんにちは。
文字通り近くて遠いクラスヌイヤール村から生のメッセージがこうして届くことに驚きを持って、毎回拝見しております。
「デルス・ウザーラ」をウデヘ語で訳すと、さしずめ「こちらへ飛んで来る人」という意味になるのでしょうか。おもしろいですね。
私たちが、ほとんど伝説上の人物ととらえている「デルス」も
カンチュガさんにとっては、父親の友人の友人という距離感というところが、とても不思議です。
(たしかカンチュガさんの父君にロシア名を命名したのが、アルセーニエフでしたね)
しかし今回の記事で衝撃だったのは、「実際のデルスとされる写真」です。
俳優のおなかの出具合に注文をつけるカンチュガさんの気持ちもごもっともと思いましたが、個人的には、「マキシム・ムンズク、当たらずとも、遠からずじゃないかな?」
と思いました。新たな発見でした。
次回も楽しみにしております。
Posted by YOJI on 2010.04.12