人を通じてタイガと出会う 「FACES, VOICES, SPIRIT」、
今回はビキンの猟師 セルゲイ・カルーギンさん (写真) のインタビュー (後半) をお届けします。
ロシア人とウデヘ人の両親のあいだに生まれたセルゲイさん (当時35歳) の生い立ちから、将来の夢をいだいた少年時代、猟師の暮らしや家族のこと、ビキンのタイガの森と生きていくことについて、前半・後半に分けてお送りしています。
どうぞご覧下さい、
(クリックでジャンプ →)?前半から読む
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? ?セルゲイさんたちクラスニヤール村の人々は以前、ビキン川のタイガを伐採計画から守りましたね ?
そうです。そしてタイガを守る闘いはその後も続いています。
? ?もしいままた伐採計画が持ち上がったら ?
闘ってタイガを守ります。俺達がここで生きられるのはタイガとビキン川があるからです。だから闘って、タイガを守ります。
? ?村にいる時とタイガで猟をしている時とで自分が別人のような気はしますか ?
そんなことはありません。ただ、タイガで猟をしている時は頼れるものが自分だけですから真剣になっていると思います。村にいる時は家族や友達とのんびりして、陽気になっていると思います。
? ?セルゲイさんの子供達は、将来何になりたいと言ってますか ?
長男は猟師になりたいと言っています。末っ子のデニスはまだ話しませんが、俺としては専業猟師にはなって欲しくないです。猟は趣味としてできればいいと思います。職業はそれとは別のことを見つけてくれればと思います。
ー ?そう思うのは、専業猟師の大変さをセルゲイさん自身が知っているからですか ?
そうです。デニスには、専業猟師にはなって欲しくないです。猟師として生きるのは大変です。
ー ?クラスニヤール村の猟師は、将来は、猟をするほかにタイガの案内役としてツアーなどの仕事をしていると思いますか ?
そう思います。俺は息子がタイガの案内役としても働ければ良いと思っています。
ー ?猟をしながら大学の勉強をするのは大変ですか ?
正直に言うと大変です。俺の受講しているコースは11月と12月が一つの学期で、ハバロフスクで授業があって、春も授業があります。他の猟師がタイガへ猟に出て糧を得ている時期に、自分は勉強のためにビキンを離れなければなりません。そして街で勉強しながらも、どうやって家族を養う収入を得ようかと悩みます。身がひき裂かれそうです。勉強はしなければならないし、家族のことは頭から離れませんし。
(注、セルゲイさんはクラスニヤール村の学校を卒業したのち兵役に就き、除隊後は故郷のビキンで専業猟師となる道を選びました。そしてこのインタビューの当時、セルゲイさんは生態学/エコロジーの学位を取得するためハバロフスクの大学の通信制課程で学んでいました)
ー ?それでも勉強するんですね。
楽しいです、学ぶのは。三年目を終えましたし、卒業まで頑張ります。
ー ?日本のツーリストがクラスニヤール村を訪れることについて、どう思っていますか ?
ツアーがあることで俺達はガイドとして働くことが出来て、ガイド料が支払われるので生活の助けになっています。そして俺には日本の友達がたくさん出来ました。だから、もっとビキンへ来て欲しいと思っています。俺達は歓迎します。
ー ?大学で生態学を学んだ経験を活かして、何をしたいですか ?
闘います。ビキンにある全てがこの姿で残るように。勉強するのもそのためですから。
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聞き手/インタビュアー 野口 栄一郎、『タイガの森フォーラム』/国際環境NGO FoE Japan