人を通じてビキン川やタイガの森と出会う 「FACES, VOICES, SPIRITS.」、
今回はクラスニヤール村の学校で保健体育を教えているウデヘの若者、ヤーシャ・カンチュガ (23歳、写真) のインタビューをお送りします。
彼は、猟師のヤコフ・カンチュガさん (インタビュー Vol.3 に登場) の長男として1986 年にこのビキン川のほとりの村、クラスニヤールに生まれました。
少年時代は腕白で、村の少年達のあいだでガキ大将的存在だったようです。 (その性格や言動には 『ドラえもん』 のジャイアンを彷彿とさせるものがありました)
そして教職の資格を得るためシベリア鉄道沿線の町で学んだ彼は、卒業後、郷里のクラスニヤール村で教師となる道を選び、3年前から村の学校で生徒達に保健体育を教えています。
彼を故郷へ呼んだものは何だったのでしょう ?
ビキン川のほとり、冬の村の蒸し風呂 (※) で行った素っ裸のインタビューをどうぞ、(野口)
(蒸し風呂で並んで腰かけて、汗の出てくるのを待っていました)
ー いつか日本へ行けることがあったら、どこへ行ってみたい ?
ニホンへか ?そしたら、俺は博物館へ行ってみたい。
ー 博物館 ? なにを見るんだ ?
博物館へ行けば ?サムライ? の使ってた刀や鎧が見られるだろ ?
?ブシドー? ってどういうもんかなと思って。
ー そうか、
お前の国に ?サムライ? が居たのって昔のことなんだよな ?
ー ああ。百五十年くらい前までのことだ。今もときどき侍みたいな心のやつには会うけどな。
そういえばヤーシャ、ボクシングかサンボ (※) やってたんだっけ ?
ああ。ボクシングもやったし、サンボも学んだ。両方、とても役に立つ。
自分より身体の大きい奴と喧嘩になったとき、サンボの技を知っててとても助かった。
あまりケガさせずに勝って、最後は握手した。揉め事を長引かせるのは良くないからな。
今はそいつと会っても大丈夫だ。別に仲良く口きくわけでもないけどな。
ー ボクシングやサンボは (教師の資格を得るために通っていた) 町の学校 で学んだのか ?
ああそうだ。ジムがあって、先生がいた。それは良かった。
ー 町で暮らすのはどうだった ?
ここが恋しかった。ここが恋しくて、村やタイガへの気持ちを詩に書いた。
ー マジでか ? 詩を書きたくなるくらいに恋しかったのか ?
ああ。町で暮らして、自分はここの人間だってわかったんだ。
それに、気持ちを詩にするのはいいことだ。俺はよく女の子達にも詩を送るんだ。
ー なるほど。日本には?文武両道?っていう考え方があった。武道も身につけ、詩も書けたりすれば最高だっていう。だからお前も文武両道の人間かもしれないぞ、
へえ、そうなのか。
ー ああ。俺も今度詩を書いて女の子達に送ってみよう、
ああ、やってみろ。喜ぶぞ (笑)
ー それはそうと、町にいたときここが恋しかったっていうのは、家族や友達が恋しかったのか ? それとも村が恋しかったのか ? それともビキン川やタイガが恋しかったのか ?
全部まるごとだ。家族も 村も タイガも 分けられない。全部ひとつだからな。
ー それはわかりやすいな。ところで、今はこの村の子と隣の村の子達が揉めたりすることは減ったのか ?
ああ、減った。
ー それって、お前の力で治めたのか ?
いや、そうじゃない。みんなの気持ちだ。
今は喧嘩じゃなくてスポーツで勝負するんだ。バレーボールとかいろんなスポーツで、村同士で試合するんだ。
ー へえ。対校試合では、いつもこの村 (クラスニヤール村) が勝つのか ?
いや、俺達の村のチームの勝つこともあればあっちの村のチームの勝つこともある。
けど、それでいいんだ。そうやってスポーツしながらみんなひとつになるのがいいんだ。
ー なるほど。親父さんは猟師で、お前はスポーツマンだ、
ああ。親父は、俺が一番尊敬する人だ。
ー どういうとき、そう思った ?
親父は俺をタイガへ連れていってくれた。
そして舟の操り方や山の歩き方、釣り、猟、全部教えてくれた。
親父はタイガで何だって出来る。だから 俺のリーダーは親父なんだ。
ー そっか。俺も親父さんが好きだよ、
ああ、知ってるよ。
ー そういえばヤーシャ、先生になった時、この学校の校長先生になるのが俺の目標だ !って言ってたよな、
ははは、あれか。
ああ、言った !・・・ ちょっとシンドくなってきたけどな !(笑)
ー そう言わずに、もうひと頑張りしてみないか、
————————————————————————————————-
ロシアの村の家々では、母屋から数メートル離れたところに小屋の姿をした蒸し風呂 (ロシア語で?バーニャ?) があります。
ヤーシャの家にもそうした蒸し風呂/バーニャ がありますが (おそらく薪の節約のため) そんなにしょっちゅうは焚きません。この日は、彼の従兄弟の家がバーニャを焚くというので石鹸とタオルを持ってふたりで汗を流しに出かけました。
バーニャの小屋にも脱衣所があるのですが、この日は、ヤーシャが 「服を脱いでそこに置いておくと湯気で服が湿る (そしてあとで凍る)」 というので、僕らは母屋で服を脱いで、石鹸とタオルをかかえて外へ飛び出し、そのバーニャの小屋の扉まで (ほんの数メートルですが) トランクス一丁で走りました。気温はマイナス 15℃ でした。
その格好で冬空の下へ飛び出すほかに、利口なやり方だってあったと思いますが (たとえば服はバーニャの脱衣場で脱いで、母屋の誰かに持っていってもらう。湯上りは身体が温まっているので、裸で外へ出ても大丈夫)、ヤーシャの普段のやり方につきあってみました。風がほとんど吹いていなかったので助かりました。
駆け込んだバーニャの中は暖かく、とても快適でした。いわゆる湿式サウナです。
そしてこの日驚いたのは、ヤーシャがバーニャへ持ってきたビール (※) をパッと焼け石にふりかけたときでした。普通は蒸気を立てるため焼け石に井戸水をかけるのですが、ビールをかけるとジューッ ! と澄んだ空気の中に素晴らしい香気が立ち込め、何とも贅沢な気分がしました。
そして並んで腰かけて、汗が出てくるのを待ちながら、いろんな話をすることができました。
数日ぶりのバーニャでとても気持ち良かったです。楽しい風呂でした。そして、地元や父親を誇る気持ちを聞かせてくれたこの若者が活躍していけること、タイガを守る人間のひとりになることを願う気持ちが湧いてきました。それから 『タイガの森フォーラム』 の活動のヒントも原動力も、ここにあると感じました。
聞き手/インタビュアー 野口 栄一郎、『タイガの森フォーラム』/国際環境NGO FoE Japan
元「ジャイアン」が故郷で体育の先生をする……なんてすてきな話でしょう。そんな人が詩をものにするなんて、たしかに魅力的! サムライを博物館で見たいとか、バーニャにビールをかけて蒸気を上げるとか、ちょっと大ぶりで任侠くさい?彼の人柄が伝わってくるようです。けんかの話もおもしろかった! ウデヘの文化や環境にひかれ、その保護の役に立ちたいなど、どうしても観念的になり、頭でっかちになりがちだけど、今を生きる若い人の普通でリアルな話が聞けて、ぐっと距離が縮まる思いです。このような記事をアップしてくださり、ありがとうございます! これからもよろしくです。
Posted by かわなまり on 2010.05.9