『タイガの森フォーラム』 を応援して下さる方、なんだろう ?と思って立ち寄って下さった方、
こんにちは、
人を通じてビキン川やタイガの森を知る 『FACES, VOICES, SPIRITS.』、
今回は、ビキン川のウデヘ人 として執筆を続けているアレクサンドル・カンチュガさん (右上写真。1934年生まれ。クラスニヤール村在住) のインタビュー Part 2 ?です。
みなさんは、自分の記憶をどれくらい幼かった頃まで辿ってみたことがありますか ?
カンチュガさんがウデヘ語とロシア語でつづった自叙伝 『ビキン川のほとりで』 は、カンチュガさんのこんな記憶で始まります。
?いつのことだったのだろう ? まるで昨日のことのようだ?
?三歳になったばかりのあるとき、私たちは舟でどこかの岸に着いた。私は母のそばにいた。父と兄たちはどこかへ消えた。どこへ行ったのか、私にはわからない。母は私を背負ってどこかへ向かって歩き出した。ほどなく橋に着いた。橋の上流には製粉所があった。橋の所ではたくさんの子供がヤスで魚を突いている。兄のペーチャもカワヒメマスを突いていた。橋を渡ってから母は私を地面に置いた。
「もう小さくないんだからあとは自分で歩きなさい。もう着いたんだよ」 母は言った。 「この道に沿って歩いて行けば家に着くからね」?
? 『ビキン川のほとりで』 第1章 「一人歩きの記憶」 より ?
自分や自分の先祖がどこから来たか訊ねられたら、みなさんはどう説明しようと思いますか ?
誇りに思う事、誰かに託したい事、伝えたい事は、何ですか ?
もしも街や砂漠で、友達を探しているひとりぼっちの子供に会ったら、どうすると思いますか ?
では、カンチュガさんの話を聞いてみましょう、(野口)
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? ウデヘの人々がこのビキン川流域に住み始めたのは、いつ頃だったのでしょうか ?
18世紀頃だと思う。それまでシホテ-アリニ山脈の向こう側 (海側 / 日本海側) で暮らしていた私達の先祖が、山を越えてやってきて、この豊かなビキンの流域を見つけて暮らし始めたんだ。
? では、ウデヘと女真族 (※) のつながりはどうでしょう ?
ウデヘには女真族の血が流れていると思う。一方で、それが私達のすべてという訳でもない。私達には様々な人々の血が流れているから。
ビキンのウデヘには中国の血の入った家系もあるし、極東を航海していたフランス人が先祖にいるといわれる家系もある。そして20世紀からはロシア人との混血が進んでいるし、今この村にはいろんな肌や瞳の色をした子供がいるだろう ?それでも、ウデヘはウデヘだよ。
? すると、ウデヘであるかどうかを決めるのはもはや血 (血統) ではない ?
血 (血統) ではないと思う。私達はもう血統にこだわることはできないよ。肌の色や瞳の色でウデヘかどうかが決まるわけではないんだ。
? 血や肌の色で決まらないとすると、ウデヘであることを決めるのはなんでしょうか ?
それはスピリット (ロシア語で?ドゥーフ?) やこころ (ロシア語で?ドゥシャー?) がウデヘであることだよ。
? そうすると、ウデヘのスピリットやこころが育つには何が必要だと思いますか ?
それは、ここにビキン川が流れている事。タイガがある事。そしてそのタイガへ猟に行ける自由のある事だね。
― なるほど、
なんて気ままな連中だ !って呆れられるかもしれないね。でもウデヘっていうのは、そういう自由な民なんだ。
13世紀に金王朝が滅びて以来、もう700年間くらい、自分達では特に国や政府というものを築かずにタイガで猟をして生きてきた人間だから、
だから私達が私達であるのは、タイガのおかげだと思う。
? なるほど。サン・サーニッチ (カンチュガさんに対する敬称) ご自身は、タイガへ行くとどんな気分がしますか ?
それはもう、素晴らしく自由な気持ちになるよ、タイガでは !
(この春カンチュガさんと北海道大学の津曲敏郎先生によるウデヘ語訳 『ニーツァ・プリンツァ』 ※ ?の完成したサン=テグジュペリの 『星の王子さま』 についてお話を伺いました)
― 今回ウデヘ語に翻訳する以前に、この物語 (星の王子さま) を読んだことがありましたか ?
いいや。聞いた事はあったけれど、今回 トシロウさん (北海道大学文学部の津曲 敏郎先生) から貰って初めて読んだんだ。
? ウデヘ語に訳すのは大変でしたか ?
それが順調に進んだよ、楽しくてね。ウデヘ語に見当たらない ?王子? という言葉にはロシア語の ?プリンツ? を用いたりしているけれど。
? なるほど。では、この物語で最も好きなのは誰ですか ・・・ ?僕は、王子さまの出会うキツネが好きです、
私は、王子さまと、それからこの物語を書いた、作者のサン=テグジュペリが好きだよ。
? ・・・ なるほど。では、この物語をウデヘ語に翻訳しながらどんなことを感じましたか ?
現代人の物語だね。まさに、現代を生きている私達自身の物語だ、と思ったよ。
? この本で王子さまとパイロットの出会う場所、ええっと ・・・ この本の挿絵に描かれてるような、樹のないところ ? ロシア語では何というんでしたっけ ?
砂 (ピソーク) だけのところかい ??プストゥィーニャ? (砂漠) だね。
? それです、有難うございます。この本で、王子さまはそのプストゥィーニャ (砂漠) へやってくるんですけども、読んでいると思うんです ― もしも王子さまが、アフリカの砂漠じゃなくてビキンのタイガへきていたらどうなったかなー、って。
王子さまがここへ来ていたら ?ははは。そうしたら、随分と違った事になっただろうね !
? 王子さまはキツネに言っていますね?僕は友だちをさがしてるんだ? って、
もしも彼がビキンへ来ていたら、どうなっていたでしょう ?
そうだね ・・・ おそらく彼はここで周りを見渡して、ビキン川やタイガに興味を持ったんじゃないかな ?ウデヘとも出会っただろうね。そしておそらく、友達を見つけたと思うよ。それから、どうするか決めたんじゃないかな、
― 彼がやってきたら、ウデヘは ・・・
仲良くなったと思うよ、
? 良かった !それから、彼がビキンへ来ていたら、タイガで虎 (アムールトラ) にも会ったかもしれないですね、
そしたら、虎はどうしたと思いますか ・・・?彼を食べてしまおうとしたか、それとも ?・・・
王子さまと虎がタイガで会ったら ?・・・ ?ふうむ ?・・・ それを考えるのは楽しそうだ !
よし、想像してみよう、
(おわり)
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『ビキン川のほとりで』 (クリックで拡大表示します)
アレクサンドル・カンチュガ著, 津曲 敏郎 訳 / 北海道大学図書刊行会 / 定価1,800円 (税別)
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これも楽しいインタビューでした。そして、カンチュガさんと話していると、ひょっとしたら 「ウデヘ」 というのは、もともとはただ 「人」 を意味する言葉だったのかもしれない、という気がしてきました。
ところで、冒頭でご紹介した『ビキン川のほとりで』 第1章 「一人歩きの記憶」 はこんなふうにつづきます、
?私は道の先を見た。それは下流に続いていた。見ているうちに、母は私を置いてきぼりにして道を走って行ってしまった。置き去りにされた私は泣き出した。なぜ置いて行ったんだろう ? ペーチャが魚獲りの手を休めて、笑いながら声をかけた。
「さあ泣かないで、立って道に沿って歩くんだ ! 家は近い、すぐ着くさ」
どうしよう ? 母を待とうか ? 兄のコースチャもミーチャもどこへ行っちゃったんだ ? なぜ連れてってくれないんだろう ? おぶってくれればいいのに。
しばらくして私は立ち上がって、道に沿って歩き出した。これが初めての一人歩きだった。道のまわりに背丈より高いような草が生えていた。少し行くとすぐに家が見えた。本当に近くだった。誰も迎えには出てくれなかった。自分が強くなったような気がした。?
なぜだか僕は、この冒頭の場面にこころを奪われました。それで一度、カンチュガさんに真面目に 「読んでいて、とても好きなヘミングウェイの短編を思い出しました。それに、ヘミングウェイよりもいいかもしれないです」 と言いました。
するとカンチュガさんは、照れるのでなく、真顔になって言いました。
「私などを偉大な作家のヘミングウェイとくらべるなんて、とんでもないことだ !私は、ただ自分の覚えている事、あった出来事を書きたいだけであって、作家じゃないんだから、」 と。
それで僕は 「そこです。そこがいいんです !」 とやり返しました。
それから、もしもカンチュガさんが校長先生をしている小学校があったら、自分ももういっぺん通ってみたくなるかもしれないなあと思いました。
聞き手/インタビュアー 野口 栄一郎、『タイガの森フォーラム』/国際環境NGO FoE Japan
ごくごく小さい時のそれも些細なことまで、鮮明に覚えているカンチュガさんのお話にふれると、カンチュガさんに何か特別な記憶力が備わっているというよりは、私たちの方が、人生を不用に複雑にしたり、余計なことを詰め込みすぎているのかもしれないな、と思えてきます。
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ごくごく小さい時のそれも些細なことまで、鮮明に覚えているカンチュガさんのお話にふれると、カンチュガさんに何か特別な記憶力が備わっているというよりは、私たちの方が、人生を不用に複雑にしたり、余計なことを詰め込みすぎているのかもしれないな、と思えてきます。
そして、ウデヘであるかどうかを決めているのは、血ではなくスピリットであると言うカンチュガさんの言葉には、自分たちでは国を築かずに猟をして暮らしてきたウデヘの人々の、なにかたくましさのようなものも感じました。
「私たちが私たちであるのはタイガのおかげ」というカンチュガさんの言葉、とても重いと思います。
Posted by YOJI on 2010.05.2