タイガの森サポーターの方、よびかけ人の方、ビジターの方、こんにちは、
人を通じてタイガと出会う 「FACES, VOICES, SPIRIT」、
今週は先週に引きつづきウデヘの猟師のヤコフ・カンチュガさん (写真のお父さん、63歳) のインタビューをお送りします。
ビキン川のタイガに迫った危機のことやウデヘの人達のメッセージをすでにご存知の方も、これから知る方も、どうぞこの猟師さんの言葉に耳を傾けてみて下さい。
では、猟師ヤコフさんの話のつづきをどうぞ、
※ Part 1 からご覧になるにはここをクリックして下さい ⇒ ヤコフさんのインタビュー Part 1 へ
————————————————————————————————-
― ヤコフさんがビキンのタイガで一番好きな肉は何の肉ですか ?
一番好きな肉か ? 若いイノシシの肉だな。(体長) 1mくらいで (体重) 30kgくらいのやつがうまい。
― イノシシはどういうふうに獲るんですか ?
イノシシは群れでおる。6頭とか7頭の群れもあるし、40頭くらいの群れでおることもある。
― 40頭 ! 40頭もいたら、どのイノシシを狙うかどうやって決めるんですか ?
正月の頃なら、狙うのはオスだ。正月過ぎとったら、狙うのはメスだ。
どうして ?
オスは正月ごろまでは脂がのっとるし肉が多い。メスはオスより肉は少ないが年中脂がのっとる。
― ビキンで大きなイノシシは何kgくらいですか ?
250kgくらいだ。そのうち肉が170kgくらいだ。
― 血は ?
抜く。
? 猟に出ていて ?今日は自分が死ぬ日かもしれないな? と思った日はありましたか ?
あった。(笑顔で)
? そういう日に心がけたことは ?
望みを持ちつづけることだ。
? どんな望みを ?
無事な結末にたどりつける、という望みだ。
? 危険を切り抜けねばならないときや、危険があると思う日、ヤコフさんは神頼みをしますか ? それともあくまで自力で切り抜けようとしますか ?
そりゃもちろんお願いはする。けど神頼みしただけじゃ助からん。必死で頑張らんと死んじまうぞ。
(猟から戻って家にいたヤコフさんが、息子さんの買ってきたDVDでロシア語吹替え版の「アバター」を観ていたので、感想を訊いてみました。こちらから ?ウデヘ人の状況と(劇中の)ナヴィ族の状況に似ているところはありますか?? と訊ねたら ?一緒にするな? と気を悪くするかもと思い、別の訊き方をしてみたのですが・・・)
? あの映画(「アバター」)はどうでしたか ? 気に入りましたか ?
ああ、面白かった。それに、あの青い連中(注、劇中のナヴィ族のこと)はわしらと似たようなことに苦しんどったな。そしてあの連中は正しいことをした。だからわしは気に入った。
― 正しいこと ?
ああ。あの青い連中は、生きる場所を守っただろ。
― 似ている、というのは ?
あの青い連中も危うく自分達の住んどるところを追い出されるところだった。
ああ、あの浮かぶ石のせいで
そうだ。わしら(ウデヘ)も伐採計画に抗議しなければならんかった。
― ウデヘはあの映画の青い人達のように強いですか ?
それはわからん。わしらは、あんなふうにドンパチやらかすわけじゃないからな (笑)
― クラスニヤール村のウデヘの人達は伐採計画に抗議したり、政府に対応してもらうための手紙を出したり、法廷で闘ったりしてビキン川のタイガを守ってきました。それはものすごく勇気の要ることだと思います。
勇気も何も、ここ (ビキン川流域) はわしらがウデヘらしく猟をしたり魚を獲ったりして暮らせる最後の場所だからな ! もしもここにおれんようになったら、わしらはもうウデヘではなくなってしまうぞ。
(野口の持ってきた写真を見ながら、)
― この写真は1992年にビキン川上流のタイガが伐採されそうになったときの写真ですね ?
ああ。
― ここに写っているのは伯父さんですか ?
そうだ。スサーン伯父だ。
― 一緒に写っているこの女性は ?
スサーン伯父の妻だったアンナだ。
? この時のこと覚えていますか ?
もちろんだ。シホテ-アリニ山脈の海側に台地があって、そこにはエゾマツがびっしり生えとった。伐採はまずそこから始まった。
(ヤコフさんは椅子から立ち上がり身振り手振りを交えて話し始めた)
(両腕を広げて)そこではこんな機械が何台も動いとった。その機械がエゾマツをこうして抱きかかえるみたいにしては、ほい、ほい、ほい、ほいと次々伐っていったんじゃ。で、伐採跡はまるで髭剃りで髭を剃ったあとみたいに何も残っとらんかった。
上流であんなふうにエゾマツ林を伐ってしまったら、ビキン川の水が減るし魚も獣も減る。それにエゾマツには日陰や湿り気が要るから、あんなふうに広く伐ったら当分育たん。それで猟師のスサーン伯父やわしらは黙っておれんかったのだ。樹だってタイガだって、育つにはものすごく長い年月がかかる。それを、あの機械ときたらあっというまに伐り尽くすんだからな。
― (ビキン川の)中流域から下流域のタイガは ?
昔はヴェルフネ・ピリヴァール村(クラスニヤール村よりも河口寄りの村)の辺りまでびっしり朝鮮五葉松が生えとった。
? ほんとですか、それは知りませんでした
ああ本当だとも。それが次々伐採されてしまって今は見るかげもない。
― その辺りの朝鮮五葉松の伐採が激しかったのはいつ頃でしたか ?
1970年代から1980年代が特に激しかった。
― ちょうどその頃この地方 (ロシア沿海地方) から朝鮮五葉松 (ベニ松) の丸太を買って使っていたのは日本です。僕の住んでいる国が買いました
ビキン川以外の沿海地方の山では伐採がどんどん進んだ。エゾマツ、カラマツ、朝鮮五葉松、ナラ、タモ、みんな伐られていった。
? ヤコフさんの猟場には立派な朝鮮五葉松が残ってますね。それでイノシシ達もいて、虎 (アムールトラ) もいる。
ああ。最近の調査によると、いまわしの猟場をテリトリーにしとるアムールトラは3頭だ。
― そういう場所がとても貴重です
ああ。いま残っているタイガは残さんといかん。
ー 守れると思いますよ、ビキン川のタイガやウデヘの存在を知る人がロシアや日本や世界で増えていったら
うむ、
― そうそう。あの映画 (アバター) の主人公は最初、青い人達を立ち退かせるためにやってきました。僕はそういうんじゃないです。
ははは。どうだろうな。お前はいろんなことを訊くからな (笑)
(次回 Part 3 に続きます)
次回Part 3ではヤコフさんがタイガの案内役を務めるビキン川ツアーの話、そしてふたたびタイガのけもの達の話や猟の話をお送りします。どうぞお楽しみに。
Part 3へ (← クリックするとページへジャンプします)
————————————————————————————————-
『タイガの森フォーラム』で何を望むか、と訪ねられたら僕は、タイガやこの人達と自分達/皆さんが共存できるような状態や経済・出来事を見たいと答えます。
そしてそれは大変なことなので、取り組む方法と仲間とを探しているのですが、自分自身も含めて人や人の集まりというのは何かを始めたあとで基本を忘れてしまったり、過ちをおかしたりする可能性があります。
それで今こうしてインタビューの形でいろいろな人の言葉を拾ってここで共有することを大事にしておきたいと思います。ここに、将来僕らが迷ったり過ちをおかしたりした場合に立ち戻るべき、基本やスピリットが見つかる気がします。本音、本当のこと、当たり前のことが話されているからです。
個人的には、彼、ヤコフ・カンチュガさんと話していると僕はいつのまにか彼が外国語で話していることも忘れて、まるでビキン川やタイガそのものと一緒にいるような気のすることがあります。
この人の中に、ビキン川やタイガの森の、春も夏も秋も冬も全てあるのかもしれません。そして、前よりすこし近づけたかな?と思うとまた遠く思えたり。
猟師や人というのは、そういうものなのかもしれません、
聞き手/インタビュアー 野口 栄一郎、『タイガの森フォーラム』/国際環境NGO FoE Japan
そう、不思議な温かみあります。気温は低くても、光や空気のせいかもしれません。
東京のほうが寒い、と感じることもあります。
ヤコフさんはじめビキンの人達・猟師と接して強く感じるのは、猟や日常的な事に於けるその迷いの無さです。
その迷いの無い佇まいというのは、多勢の人が不安を抱えている感じのする日本と対照的にも思えます。
でもそのヤコフさん達でもやはり悩みや迷いやがあります。
ソ連の時代や20世紀の社会はどんどん過去へ遠ざかって、自分達も今この21世紀の只中にいる。
いわゆる僻地であっても、衛星放送ややがて開通するインターネットで様々な情報が入ってくる。
ケータイや中古の日本車・自家用車があれば便利だけど、その先に何があるか。
逞しく生きてさえいればそれだけで充分、と一見思っていそうな人でも、座って話してみるといろんな不安を話してくれます。
つまり今、日本には日本の悩みや迷いがあるけれど、ロシアの人達やウデヘにもやっぱり悩みや迷いがある。
ということは、どこかで助け合える筈です。
その助け合える所を見つけたら、タイガもウデヘも日本の人達も生きられる道が見つかると思います。
そのためにまずは、これを見たぞ、あなた達の話を読んだぞ、とヤコフさん達に伝えてあげて下さい、是非。(僕ら伝えます)
するとヤコフさん達、素直に答えてくれます、わしらがここにいることを知ってくれて、有難う、と。
それで力一杯握手してお互いに生き残る道を探します。
なぜかというと、そうやって力を合わせないと、僕らはこの時代に振り回されっ放しで一生を終えてしまいかねないからです。そんなのはコンチクショーです。
まずはタイガやこの場所を守るのが先決です。その上での経済や社会だと思っています。その順序のひっくり返る事は有り得ないです。(野口)
マイナス30度の風景に、不思議な温かみを感じます。
ヤコフさん、飄々としていながらも誇り高いですね。
「正しいことをした」という言葉からは、
自分達が受け継いできた暮らしが
正しく理に適っているという信念を感じます。
ウデヘの人達の暮らしとタイガの森林が
今後も受け継がれることを望みます。
Posted by SIGMAX on 2010.03.19