こんにちは。ドキュメンタリー映画「タイガからのメッセージ」を制作中の三上雄己です。
5月の上旬の2週間をタイガの森で過ごし、現在霧に包まれた港町、ウラジオストクでこのレポート書いています。
タイガでの撮影はいつも何かしら特別なことや不思議なことが起こるのですが、今回5度目の撮影はいつにも増して特別でした。東日本大震災と原発事故直後だったことが大きな要因です。
今回の撮影のために日本を出発するのには、色々と考えさせられました。福島原発に何が起こってもおかしくない状態で日本を離れること、それにつられて社会情勢が非常に不安定になっていること、そんな中で家族や友人たちと2?3週間とはいえ離ればなれになること。また、映画の制作中でスケジュールを守らなければならないとはいえ、気持ちの中で映画のコンセプトや伝えたいことが正直揺れていて、多くのことが頭と心の中を駆け巡っていました。
ハバロフスクに着き、日本での原発災害や放射能汚染問題からくるストレスからにわかに開放されると、少しずつ自分に森のことや村の人々のことを考える余裕が生まれてきました。そして、相棒の木村輝一郎やコーディネーターの野口栄一郎、今回の旅にも同行した写真家であり良き仲間である伊藤健次の4人で話をしていくうちに、自分の中で段々と、タイガに対する気持ちや映画へのインスピレーションが再び沸き上がってくるのを感じました。
その気持はタイガへ向かう車の中で、自然の色合いが増していくのに連れてさらに膨らみ、タイガの手前で若い芽吹きや小川沿いに咲く花たちに出会うところで頂点に達しました。
ようやく、映画の完成への道筋が再度見えて来たのです。日本という自分たちの母体である場所が歴史的な天災と人災に見舞われたにもかかわらず、タイガというロシアの森やそこに住む先住民の生活を映画にして伝えるということの意味の重要性が再度自分の中で確認されたのです。
クラスニヤール村に着くと「フクシマ」という言葉を、みんな知っていました。彼らは日本の状況を知りたがりました。地震のこと、津波のこと、原発の こと、そして日本の人々の今の状態のこと。「フクシマ」という言葉が先行しているのを聞けば分るように、世界では福島原発のことが興味の焦点となっていま す。何故なら、放射能問題は、地球全体の問題に進展する可能性があるからです。(もう、すでにそうなっていますが)
クラスニヤールにおいても同様です。彼らは原発の状態について知りたがりました。そして日本政府や東電の対応について聞くと、彼らが25年前に経験 したチェルノブイリを引き合いに出して語ってくれました。いかに、政府や企業が民のことを後回しにするかということを。僕は、「フクシマ」が起こるまで 「世界最悪の原発事故ーチェルノブイリ」を抱えていたロシアに通って撮影していることへの奇妙な縁を感じずにはいられませんでした。そして、彼らは口をそ ろえて、「もし日本に住めなくなったら、みんなロシアにくれば良い」と言ってくれました。そんな嬉しく暖かい「タイガからのメッセージ」をもらったところから、今回の撮影は始まりました。