今回の森での撮影の大きな目的の一つは、野生のトラの撮影でした。どのようにそれが行なわれたか、それは次回6月の最終撮影レポートで詳しくお伝えします。
もう一つの目的は、本編の中で核になるであろう二人のウデへに話に聞くことでした。
一人はウデへのシャーマンの祖母を持つ、スベトラーナ・スミルノヴァさん。そして、もう一人はクラスニヤールにおいてウデへ語を話せる数少ない人である猟師のゲオンカ・イヴァン・トロフィモヴィチさんです。
スベトラーナさんは村の猟師組合でハチミツの収穫などに関しての仕事の他、組合長を助けて働いている女性ですが、始めて会った時に不思議なオーラを放っていたのが印象的でした。後から知ったのですが、彼女のおばあさんはシャーマンだったということです。森など周りの自然と共に生きて来たウデへにシャーマニズムが深く根付いていていたのはごく自然のことでした。しかし、ロシアの開拓時代から始まりソ連時代にはシャーマニズムのほとんどは抑圧されていたようで、現代にいたる過程でほとんど形ばかりのものになってしまいました。地球上の他の多くの地域でも、同じことが起こったのは、みなさんもご存知のことかと思います。
この地球上に人類が出現してから長い間、僕たちの祖先は自然と一体となって暮らしてきました。自然の恩恵を受け、それに感謝して生きてきたのです。時に自然は猛威をふるい、人間や他の動物たちの命を脅かします。しかし、それは自然と人間が一体であるという証拠。自然の中の命を頂いて生きているからには、自分たちの命も同じように失う可能性があるということなのです。持ちつ持たれつ、ギブ&テイク。そのことが、シャーマニズムの本質だったような気がします。スベトラーナさんの話は、そんな人と自然の深い関係を語っているように思いました。
そして、今回の撮影のクライマックスは、なんと言っても、ウデへの猟師の中でもベテラン中のベテラン、イヴァンさんにビキン川のほとりで、お話を聞いたことでしょうか。
ここまで科学が進行し、文明が押し進められた現代においても、ウデへの掟を出来るだけ守りながら、大きなタイガにたった一人で入り、狩りを続ける彼の話は、原発のことや現在の日本の混迷に疲れていた僕らに、一種の癒しのような作用をもたらしました。ウデへ語を操り、森や動物とのコミュニケーションの出来るイヴァンさんは、前述のスベトラーナさんが言うように、シャーマンとしての資質を持っている人でした。その彼の話は、僕らの魂をタイガに誘い、自然の本質を少し垣間見せてくれました。僕らが何故今、タイガに通って映画を撮っているのかを、もう一度深く確認出来た瞬間でした。
このようにして、今回の撮影は無事終了したのですが、来月もう一度最後の撮影でタイガに戻ります。その時のレポートをお楽しみに!トラの話も出てきますよ。乞うご期待!