ウデヘのルーツ
12世紀、武技に優れ中国北部を支配した女真族(じょしんぞく)と呼ばれる人々が金王朝(きんおうちょう)を立て繁栄。この王朝はチンギス・ハーンの率いる元(モンゴル)と熾烈な戦いを繰り広げ疲弊し13世紀に滅亡。15世紀、明の歴史書に「森の人 ウディゲ」とよばれる人々が現れる。彼らが女真族の一派で、今日のウデヘの先祖である可能性が高い。
「ウディゲ」の人々は狩猟の技に秀でておりタイガ林で獲った黒貂(くろてん)の毛皮を明・清のシルクと交換した。この人々がタイガ林の豊かなビキン川流域を発見して移り住み、今日のウデヘにつながる暮らしや狩猟文化が育まれていったと考えられている。19世紀、ビキン川流域をはじめウデヘの住むシホテ-アリニ山脈一帯がロシア領となった。20世紀、ウデヘの人々はソ連の国営狩猟組合へ山菜や毛皮を売って生活した。
現在のウデヘの人口は2,000人未満で、大部分がロシア極東のハバロフスク地方と沿海地方に暮らしている(ロシアの人口は約1億4,000万人)。沿海地方とハバロフスク地方には5カ所のウデヘの集落がある。ウデヘ最大の集落はビキン川中流域に位置するクラスニヤール村(Krasny Yar)で、人口626人のうちウデヘは521人とされている。なお、ソ連時代にロシア人などとの接触が進む中で、ウデヘの混血はかなり進んでいる。
漁労や狩猟、採取といった自給自足の暮らしは、ソ連時代に大きく変化した。1980年代の終わりごろには伝統的な自給自足生活を送っているウデヘは全体の5分の1程度と推定され、それ以外の大部分のウデヘは政府等の公的な機関や農業に従事するようになった。さらにソ連邦の崩壊に伴う体制の変化により、国営狩猟組合等が機能しなくなってからは、伝統的なウデヘの生計を復活させ、地元での新たな雇用を生み出そうと集落ごとに事業体が組織されているが、その運営は必ずしも容易ではない。
現在でもウデヘの6割程度は農村地域に暮らし、ウデヘの間でも失業やアルコール等の蔓延は大きな問題となっている。一方で、ウデヘのアイデンティティを後世に伝えていこうとする試みも着実に行われおり、若い世代も入った伝統舞踊団などが各集落で作られたり、クラスニヤール村には民族文化センターが設立されたりしている。また、文字を持たないウデヘ語は現在では高齢者の間でしか理解されない言葉になっているが、クラスニヤール村などのウデヘの多い集落では、教師や資金などの不足などの課題を抱えながらも、学校でウデヘ語の授業を行い、言葉を後世に伝える努力が続けられている。
参考資料:R.Sulyandziga et.al, ”Indigenous People peoples of the North, Siberia and Far East of the Russian Federation. Review of current situation”, 2003